(アイキャッチ、トプカプ宮殿)

 

皆様こんにちは、山中でございます。新しい期を迎えた弊社。今期の方針の一つに、積極的地域貢献を掲げています。私たちにできること。皆様からのお声。聴かせていただけると助かります。まだまだネガティブに受け入れられがちなゲームやスマホ依存の子どもたち。新しい出口が見つかると、周りも本人も楽になる。なにかできないかと模索する日々です。ヒントください。(笑)

 

さて、連日お届けしている旅紀行。何度かの投稿で、トルコの人たちが大の親日家。ということは知っていただけたと思います。では何故、そこまで日本を好きでいてくれるのか?日本人は知らないけど、トルコ人なら、殆どが知っている日本人。ご存知ですか?

 

その方の名は、『山田寅次郎』 日本とトルコの懸け橋。いわば、民間大使のような役目を果たした人。今でもトルコでは、教科書で教えてくれているそうです。

 

明治23年、まだトルコ建国以前、オスマン帝国の時代。明治天皇との拝謁を終え、横浜港を出港したエルトゥールル号。嵐に遭遇し、和歌山沖で座礁。トルコ人650人が海に投げ出され、587人の命が奪われた事故がありました。和歌山の村の人たちは村を上げて生存者の救助にあたります。

 

命を落とした人たちのご遺族、負傷した人たちを気の毒に思った寅次郎さん。なにかできないか?ということで動き出します。周りの協力を仰ぎ、今の価値にして1億円の寄付を集めます。当時、若干24歳の若者です。

 

お金を集めた寅次郎さんは外務大臣を訪ね、義援金として送ってほしい旨を伝えます。それを受けた外務大臣は、君が直接届けるようにと勧めました。そんな訳で、イスタンブールへ到着した寅次郎さん。遠い国から義援金を持って日本人がやって来た。ということで、熱烈な歓迎を受けます。歓迎のすごさは、当時の皇帝と拝謁が許されたことなどからも推測できます。この時、寅次郎が持参した甲冑や刀は、いまでもトプカプ宮殿の博物館に飾られています。

 

その後、日本とトルコの貿易や友好に尽くされ、正に、民間大使として両国の友好のために命を使い続け、91歳で天寿を全う。特に縁があった訳でもないトルコ人のために。24歳の若者が起こした行動。100年以上経過した現在。今も学校で教えてくれているトルコという国。受けた恩を忘れない。どころか100年以上前に受けた恩。イラク戦争の時に、返してくれています。(次回の会報に書いてます)本当にありがたいですね。

 

義理人情。日本人のお家芸でしたが、昨今は寂しい限りです。トルコに行くなら、山田寅次郎さんの名前は絶対に覚えといてくださいね。トルコ人はみんな知ってますよ。だから日本人に優しくしてくれるのです。山田寅次郎さんへ感謝です。